学校が教えてくれない日本人の生き様 ~大和の心をポーランド魂~

以下もまた
学校が教えない為
私たち日本人が知らない日本人の生き様のひとつです。
ご存知の方もいらっしゃると思います。
どうか内に留めず、周りにいるこれらを知らない人へ伝えてください。

知ることで、きっかけが生まれます。


「大和の心と ポーランド魂」

参照
http://www.youtube.com/watch?v=WOlbMFIZha4&feature=player_embedded
http://ameblo.jp/simccojp/entry-10205407076.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog323.html
より

シベリアは長い間、
祖国独立を夢見て反乱を企てては捕らえられたポーランド愛国者の流刑の地だった。

1919年、ポーランドがロシアからようやく独立した頃、
ロシア国内は革命、反革命勢力が争う内戦状態にあり、
極東地域には政治犯の家族や、混乱を逃れて東に逃避した難民を含めて、
十数万人のポーランド人がいたといわれる。

その人々は飢餓と疫病の中で、苦しい生活を送っていた。
とくに親を失った子供たちは極めて悲惨な状態に置かれていた。

せめてこの子供達だけでも生かして祖国に送り届けたいとの願いから、
1919年9月ウラジオストク在住のポーランド人によって、
「ポーランド救済委員会」が組織された。

しかし翌20年春にはポーランドとソビエト・ロシアとの間に
戦争が始まり、孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは不可能となった。救済委員会は欧米諸国に援助を求めたが、
ことごとく拒否され、
窮余の一策として日本政府に援助を要請することを決定した。


■日本赤十字社の決断■

救済委員会会長のビエルキエヴィッチ女史は1920年6月に来日し、
外務省を訪れてシベリア孤児の惨状を訴えて、援助を懇請した。

女史の嘆願は外務省を通じて日本赤十字社にもたらされ、わずか17日後には、シベリア孤児救済が決定された。
独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない事を考えれば、驚くべき即断であった。

 
日赤の救済活動は、シベリア出兵中の帝国陸軍の支援も得て、
決定のわずか2週間後には、
56名の孤児第一陣が敦賀経由で東京に到着した。
それから、翌1921年7月まで5回にわたり、孤児375名が来日。
さらに22年夏には390名の児童が来日した。

 
合計765名に及ぶポーランド孤児たちは、日本で病気治療や休養した後、直接祖国ポーランドに送り返された。
習慣や言葉が違う孤児たちを世話するには、ポーランド人の付添人をつけのがよいと考え、
日赤は孤児10名に1人の割合で合計65人のポーランド人の大人を一緒に招くという手厚い配慮までしている。


■手厚い保護■

日本に到着したポーランド孤児たちは、日赤の手厚い保護を受けた。
孤児たちの回想では、
特に印象に残っていることとして以下を挙げている。

ウラジオストックから敦賀に到着すると、
衣服はすべて熱湯消毒されたこと、
支給された浴衣の袖に飴や菓子類をたっぷ入れて貰って感激したこと、
特別に痩せていた女の子は、
日本人の医者が心配して、毎日一錠飲むようにと特別に栄養剤をくれたが、大変おいしかったので一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったこと、、、

到着したポーランド孤児たちは、日本国民の多大な関心と同情を集めた。
無料で歯科治療や理髪を申し出る人たち、
学生音楽会は慰問に訪れ、仏教婦人会や慈善協会は子供達を慰安会に招待。慰問品を持ち寄る人々、寄贈金を申し出る人々は、後を絶たなかった。

松沢フミという21歳の看護婦は,
重体の腸チフスの孤児を付きっきりで看病し
せめて自分の胸で死なせてやろうとこの孤児を
夜も抱いて寝ていたため自らは腸チフスに感染し亡くなった。
(この孤児は彼女の献身的な看護によって奇跡的に助かったそうです)

1921(大正10)年4月6日には、
赤十字活動を熱心に後援されてきた貞明皇后(大正天皇のお后)も
日赤本社病院で孤児たちを親しく接見され、
その中で最も可憐な3歳の女の子、ギエノヴェファ・ボグダノヴィッチをお傍に召されて、
その頭を幾度も撫でながら、健やかに育つように、と話されたそうです。


(平成14年(2002年)7月、天皇皇后両陛下が、
東ヨーロッパ諸国を歴訪されたとき、ポーランドも訪問されました。
このとき、この際ポーランド孤児だった三人と両陛下との対面が実現しました。
86歳のアントニナ・リーロさんは、
美智子皇后の手をずっと握って離そうとされませんでした。
実は、この方が、日本で助けられた時、
病院に大正天皇の后、貞明皇后がお見舞いに来られ、
小さかった彼女を抱いて励ましてくださったのを、
かすかに覚えていたらしいのです。)



■「アリガトウ」と「君が代」斉唱■

このような手厚い保護により、到着時には顔面蒼白で見るも哀れに痩せこけていたシベリア孤児たちは、急速に元気を取り戻した。

日本出発前には各自に洋服が新調され、さらに航海中の寒さも考慮されて毛糸のチョッキが支給された。

横浜港から、祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、
乗船することを泣いて嫌がった。
埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して、幼い感謝の気持ちを表した。

神戸港からの出発も同様で、児童一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちは子供たちの幸せを祈りながら、涙ながらに船が見えなくなるまで手を振っていた。

子どもたちを故国に送り届けた日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回り、1人ひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫でて、熱が出ていないかどうかを確かめていたという。
その手の温かさを忘れない、と一人の孤児は回想している。


■長年の感謝の気持ちをお伝えできれば■

95年10月、兵藤長雄ポーランド大使は、8名の孤児を公邸に招待した。
皆80歳以上の高齢で、一人のご婦人は体の衰弱が激しく、お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりついた。

私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。
そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。
しかしもうそれは叶えられません。

しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき這ってでも、
伺いたいと思いました。
何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。
今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、
もう思い残すことはありません。

と、その老婦人は感涙に咽んだ。
孤児たちは70年前以上の日本での出来事をよく覚えていて、別の一人は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、今まで肌身離さずに持っていた、と大使に見せた。

同様に離日時に送られた布地の帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、それぞれが大切な宝物としているものを見せあった。


■われわれは何時までも恩を忘れない国民である■

シベリア孤児救済の話は、ポーランド国内ではかなり広く紹介され、政府や関係者からたくさんの感謝状が届けられている。

そのひとつ、極東委員会の当時の副会長ヤクブケヴィッチ氏は、
「ポーランド国民の感激、われらは日本の恩を忘れない」と題した礼状の中で次のように述べている。

日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。
日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。
しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、
われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。・・・

われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。
こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。・・・

ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、
われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、
ポーランドはもとより米国でも広く知られている。・・・

ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。

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■大和心とポーランド魂■

「何時までも恩を忘れない国民である」との言葉は、
阪神大震災の後に、実証された。
96年夏に被災児30名がポーランドに招かれ、3週間、各地で歓待を受けた。

世話をした一人のポーランド夫人が語った所では、
一人の男の子が片時もリュックを背から離さないのを見て、
理由を聞くと、
震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くし、家も丸焼けになってしまったという。
焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめ、片時も手放さないのだと知った時には、この婦人は不憫で涙が止まらなかった、という。

震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。歩行もままならない高齢者ばかりであるが、

「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちが
ポーランドに来たからには、
是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおして、
やってこられた。

4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、
震災孤児一人一人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。
75年前の我々の父祖が「地球の反対側」から来たシベリア孤児たちを慈しんだ大和心に、
恩を決して忘れないポーランド魂がお返しをしたのである。

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東北大震災においても
■ポーランドの演奏家が、日本支援アルバム「日本がんばれ!」を発売
http://blog-jp.blechaczinfo.com/2011/04/blog-post_02.html
ポーランドでは、ポーランド・ラジオのイニシアチブにより、著名ピアニストによる日本支援のためのアルバム「日本と連帯してーー日本がんばれ!」が、4月8日に発売されます。クリスティアン・ツィメルマン、ラファウ・ブレハッチの演奏も含まれています。収益はすべて、桜咲く国日本の震災被災者の支援のために寄付されます。
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演奏家は、印税権を放棄しています。
この日本支援のプロジェクトは、ポーランドラジオの他、ポーランドのすべての主要なメディアがプロモーションに参画しており、ブロニスワフ・コモロフスキ大統領が名誉主宰をつとめています。


■ ポーランドによる東日本大震災被災者支援
ポーランドの多種多様な組織、協会、ラジオ局、「善意の人々」により行われている復興支援活動(以下主な活動を紹介)
ポーランド全土において日本の被災者の方々との連帯の心が生まれています。コンサート、ショー、大会等の様々なイベントを通じて自発的な義援金の募集が行われている他、ポーランド人道アクション(PAH)、カリタス・ポーランド(Caritas Polska)、ポーランド赤十字社といった主要な慈善・宗教団体が復興支援活動に取り組んでいます。

カリタス・ポーランドは既に5万ユーロの義援金を集め、カリタス・ジャパンに寄付するとともに、4月11日まで携帯電話のSMSサービスを活用した義援金の募集を行っています。(携帯電話で72052番に「POMAGAM(支援します)」というメッセージをSMSで送信すると自動的に東日本大震災被災者支援基金へ寄付できるシステム)

3月27日には、ポーランド・カトリック司教協議会の決定により、全カトリック教会で東日本大震災被災者のための義援金が集められた他、全国から義援金が届けられ、集計作業が行われています。

ポーランド人道アクションは、口座振込もしくは同団体が後援するコンサートを通じて義援金を受け付け、3月29日時点の集計で6万5千ズウォティが集まっています。

感謝




大和の心とポーランド魂

誇りあるからこその日本人の祖先達の振る舞い
誇りあるからこそ、恩を忘れないように語り継いでいるポーランド人





大和の心とポーランド魂

ポーランドでは、このお話がずっと語り継がれてきました。
しかし
当の日本では、
このお話を学校が子供達に与えることもなく
与えられないまま育った大人が子供に与えることもできず。
これが現状です。


私はこのお話を知ったからこそ
以下のように考えることができました。


我々、

今を生きる日本人は

先人達の生き様とポーランドの方々の生き様に感謝をし、
先人達の生き様から生まれた
日本に対する大きな信頼を使い切るようなことなく、
それに胡坐をかくようなことなく、
先人達の生き様から
多くを学び
恥じないよう生きていきたいと思う。





大和の心とポーランド魂

世界を見渡せば
日本を慕ってくださる国が沢山あります。

なぜ慕ってくださるのか?

そこに日本人の先人達の生き様が大きく関係していることを知らず
日本人の先人の生き様を知らず
日本人の先人を悪い悪いとし、
慕われている事を当たり前と受け止めるばかりで
胡坐をかいていれば、
やがては
先人達が築いた「貯金」も失われてしまうでしょう。


私は、3年ほど国政に関しての周知を行っています。
周知を行う中、
日本という国の未来は
「日本人の意識」次第だと私は強く感じる
ようになりました。

意識次第

だからこそ
戦後、教育やメディアを用いて愚民政策が行われたのでしょう。
■愚民政策
http://note.masm.jp/%B6%F2%CC%B1%C0%AF%BA%F6/

恥じない生き方

一人でも多くの日本人が
先人の生き様を知り
それに恥じない生き方をしようと考え生きる時、
ここ日本の未来は
明るいものになると
私は信じています。


奪われたのなら取り戻して
与えられないのなら
自分で自分に、自分が誰かに、自分が子供に。


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