アメリカ軍の空襲にあった日本国内の大都市と地方都市一覧

以下、アメリカ軍の空襲にあった日本国内の大都市と地方都市一覧
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東京 
1942年4月18日 ドーリットル空襲
   1945年2月15日 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲。
   関東の軍需工場が標的。
   
   ■3月10日 東京大空襲
         死者約8万~10万
         負傷4万~11万名。焼失26万8千戸。
   
   4月13日 城北大空襲 B29・330機。
        死者2459名。焼失20万戸。
        主として豊島・渋谷・向島・深川方面。

   4月15日 京浜空襲 B29・202機。死者841名。
        焼失6万8400戸。
        主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。
        隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。

   5月24日 B29・525機。死者762名

   5月25日 B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。
        主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。

東京は1944年11月14日以降、上記の大空襲を含む【106回】の空襲を受けた。



名古屋

1944年12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む【63回】の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。

   1945年3月12日 名古屋大空襲 B29・288機。
          死者602名。負傷者1238名。全焼2万9千戸。

      3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
      5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
      6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
      6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。



大阪

空襲後の大阪市街大阪は1945年1月9日以降、 下記の大空襲を含む【33回】の空襲を受けた。

      1945年3月13日 大阪大空襲 B29・279機。
      死者3115名。焼失13万2459戸。

      6月1日 B29・474機。死者3150名。焼失6万戸
      6月7日 B29・250機。死者1594名。負傷者4967名。
      6月15日 B29・469機。死者418名。負傷者1842名。
      6月26日 B29・約100機。死者592名。負傷者1102名。
      7月24日 B29・約400機を含む大小二千機。
          死者187名。負傷317名。焼失554戸。
      8月14日 B29・約100機。死者173名。負傷89名。焼失二千戸。          



神戸
神戸は1945年1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・【128回】死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。

      1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。
         負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
      5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
      6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。
          全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。



京都

京都は1945年1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出した。

京都は、大都市にもかかわらず大規模空襲に遭っていない(後年誤解されがちだが、まったく空襲がなかったわけでは無い。後述するように京都も何度か空襲の被害を受けている)。
これは原爆投下目標の候補の一つであったためであり、投下目標都市の広島・京都・小倉・新潟には大規模空襲が禁止されていたためである

      1945年1月16日 死者41人
      5月11日 京都御所へ空襲。
      6月26日 死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸


主要地方都市
   1944年6月15日 八幡空襲 
      中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。

      10月10日 十・十空襲
      沖縄県全域に対しての空襲。
      10月25日 大村大空襲
      当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった
      長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。

      11月21日 熊本初空襲
  
   1945年3月18日 大分空襲
      3月18日 鹿児島初空襲

      3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。      3月27日 小倉大空襲

   1945年4月8日 玉野空襲
      4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。
      川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。

      4月21日鹿児島空襲
 
   1945年 5月10日 徳山大空襲
      5月29日 横浜大空襲
      B29・475機、P51・約100機。死者3787人。
      重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。
      焼失約3万戸。
      その後の調査で、死者は8千~1万人にのぼることが確実と考え      られている。

      5月31日 台北大空襲

   1945年6月1日 尼崎空襲 死者231人。
      6月10日 日立空襲 死者1200人。
      6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
      6月17日 鹿児島大空襲
      6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
      6月18日 四日市空襲
      6月19日 福岡大空襲 B29・239機。
      
      6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 
      罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。
      静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、
それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
      6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
      6月22日 姫路空襲
      6月22日 水島空襲
      6月22日 各務原空襲
      6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[1] 死者1600人。
      6月28日 呉大空襲
      6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。
      死者約1300人、罹災人口約65,000人。
      当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
      6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。
      罹災人口12万人。


    1945年7月1-2日 熊本大空襲
      7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[4]
      7月2日 下関空襲
      7月3日 姫路大空襲
      7月4日 高松空襲
      7月4日 徳島大空襲 徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
      7月4日 高知大空襲 
      7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
      7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
      7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
      7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
      7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
      7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
      7月10日 仙台空襲 B29・124機。
      7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発
      7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。
      7月14-15日 北海道空襲
      7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。
          室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
    
      7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
      7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
      7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
      7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
      7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。
      7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。
      7月24日、28日 呉軍港空襲
      7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)
      7月25日 串本艦砲射撃
      7月26日 松山大空襲
      7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。
      7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。
      7月29日 大垣空襲。
      7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。

 
      8月1日 八王子空襲
      8月1日 長岡空襲
      8月2日 富山大空襲
      広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
      8月5日 前橋・高崎空襲 B29・92機。死傷者1323人。
      8月6日 広島原爆
      8月7日 豊川海軍工廠空襲 死者2477人。
      8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、
      8月9日 長崎原爆
      8月9日 大湊空襲。
      8月10日 花巻空襲、熊本空襲
      8月11日 久留米空襲 死者212人。焼失家屋4506戸。
      8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
      8月14日 熊谷空襲 B29・82機。死傷者687人。
      8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
      8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
      8月14-15日 小田原空襲 死者30~50人。
      8月14-15日 土崎大空襲 B29・132機。
      死傷者300~400人。最後の空襲。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2


■アメリカによる東京大空襲は国際法違反にならなかったのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312575748 より

ハーグ陸戦条約及びジュネーブ傷病者条約において、
非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、
捕虜の虐待などは禁止されています。

勝てば官軍。
当時のアメリカは戦勝国なので、何をやっても正義のヒーローでした。

東京大空襲による無差別大量虐殺や、原爆による一般市民大量虐殺と人体実験は、
何の罪にも問われず、逆に戦争を早く終わらせたと評価されています。

逆に負けた国は、主要人物は悪い事をしてなくても戦犯として、無実の罪で全員死刑です。
そして、国の礎を作った尊敬に値する立派な人物が、間違った知識を持った同胞の日本人にまで、極悪人扱いをされています。
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多くの都市が焼かれ、家が焼かれ、
多くの人が死に、
多くの英霊達が散華されました。

それでも、人口はここまで回復し、日本は発展をしました。


戦後直後の日本
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30年後の日本
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それは
その時代を生きた日本人が
諦めず
日本を建て直し保ったから。

その時代を生きた日本人が
日本を守り繋げたから。


各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある



今、日本では
捏造された、反日国家に都合のいい自虐史観により
日本人の先人は悪かった!!!!と教え
平和憲法9条と言う、
殺されても殺さない覚悟=守りの構えを捨てる覚悟をさせられています。

そこに
日本人にとって
何のメリットがあるのか?


国は守らなければ続きません。
国はその国の民が守ろうとしなければ続きません。

守りつなげた先人に感謝の気持ちを持つことも
日本人であることに誇りを持つことも
守りの構えも
なくしてしまった時、

国は続いていくのでしょうか?


各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある



「殺されても殺さない覚悟」平和憲法反対
「日本は悪い国!!!」  自虐史観教育反対
「日本解体!!!」    売国政党反対


無関心でいると、
確かに楽ですが
知らない間に船が沈むかもしれません。

いざ沈みかかる船で
「誰がこうした!!!」と叫べど、
答えわからぬまま、
答えがわかったところで何もできぬまま
沈むことになります。

「この船が悪い悪い」と叩き壊せば、船は沈みます。

こちらに大砲を撃つ敵船に対し、何もしなければ、船は沈みます。

壊れた船を誰も修理しようとしなければ、やはり船は沈みます。


ここ日本は私達日本人が愛し、守り、保たねば、続きません。


私達の生活は、日本有りきです。


各時代を生きた日本人が
繋げたからこそ
今がある

今を生きる私たち
繋げる先にいるのは
未来の私
未来の貴方
未来の誰か。

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先祖のたゆまぬ努力があって、自分の夢が実現する。

そう考えると自分の人生は自分のものだけでなく、
先祖のものであり、子孫のものでもあるのだ。

自分のためだけでなく、
次の世代のためにも、
自分の人生を完全燃焼しなければならない。

「命のリレー」は、「精神のリレー」である。

ウガンダにて高校生に野球を教えている日本人の言葉
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog638.html
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■永野修身(おさみ)・海軍大将の証言

「戦わざれば、亡国と、政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見いだしうるであろう。戦ってよし、勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起、三起するであろう」


■ラダ・ピノード・パール

この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、
これまた日本の責任ではない。

その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」


■オランダ・アムステルダム市長
 
「皆さんの日本は、 アジア各地で侵略戦争を起こしてすまない。アジア民族たちに大変迷惑をかけたと 自らを馬鹿にして謝罪していますが、
これは大きな間違いです。
皆さんこそ、
自らの血をこぼして、
アジア民族を解放して、
救助するという人類にとってすばらしい行いをしました。
しかし、日本人は
過去の本当の歴史がわからなくて、
あるいは(アメリカに)洗脳されて、
悪い事をしたと自ら悪者になっていますが、
歴史を返り見て真相を見つめる必要がありますね。

事実は、違う。
私たち白色人種が悪い。
百年も 2百年も前から、
競いあい
アジアを征服して、
自分の領土として勢力下に置きました。
そんなアジア民族を解放して、
皆繁栄しようと、
崇高な理念を掲げて、
大東亜共栄圏樹立だと言う旗印で立ち上がったことが 日本でした。











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