武士道精神ここに在り ~乃木将軍とステッセル将軍~

「水師営の会見」 文部省唱歌

旅順(りょじゅん)開城 約成(やくな)りて
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ 水師営

庭に一本 棗(なつめ)の木
弾丸あとも いちじるく
くずれ残れる 民屋に
今ぞ相見る 二将軍

乃木大将は おごそかに、
御(み)めぐみ深き 大君(おおぎみ)の
大(おお)みことのり 伝(つと)うれば
彼(かれ)かしこみて 謝しまつる

昨日の敵は 今日の友
語ることばも うちとけて
我はたたえつ かの防備
かれは称えつ わが武勇

かたち正して 言い出でぬ
『此の方面の戦闘に
二子(にし)を失い給いつる
閣下の心如何にぞ』と

『二人の我が子それぞれに
死所を得たるを喜べり
これぞ武門の面目』と
大将答(こたえ)力あり

両将昼食(ひるげ)共にして
なおもつきせぬ物語
『我に愛する良馬あり
今日の記念に献ずべし』

『厚意謝するに余りあり
軍のおきてに従いて
他日我が手に受領せば
ながくいたわり養わん』

『さらば』と握手ねんごろに
別れて行くや右左
砲音(つつおと)絶えし砲台に
ひらめき立てり 日の御旗(みはた)

http://www.youtube.com/watch?v=tAq_lyXYLgA
~~

時は、日露戦争。
最も重要で且つ激しい戦闘が行われたのが中国の遼東半島にある旅順でした。

ここにロシア陸軍の強大な要塞が築かれ、
日本の陸軍と激しい戦いが繰り広げられました。

この時の日本の軍司令官が乃木希典将軍です。

日本軍は多くの戦死者をだしながらも、
難攻不落と言われた要塞を攻略することに成功。
この戦いでは、乃木将軍の二人の息子も戦死しています。



旅順攻防戦終結後の明治38年1月5日、
水師営にて乃木希典とステッセルの会見が行われました。

img_577856_16555894_3.jpg



~武士の情け~

勝者である乃木将軍と
敗者であるステッセル将軍。

当時、勝軍の将と敗軍の将は
その差を明らかに表わすのが当然で、
敗軍の将は武器を取り上げられて当たり前でした。

しかし、
「武人の名誉を保たしむべし」という明治天皇の希望により、
敗軍の将・ステッセルに帯剣が許されたのです。

*帯剣 刀剣を腰につけること

会見時、
外国の記者から写真撮影の申し出がありましたが、
乃木将軍は
「後世まで恥を残すような写真を撮らせることは、日本の武士道精神が許さない」として断り、
「会見が終わり、友人として同列に並んだところならよい」として
両軍の幕僚が並ぶ写真だけが撮影されました。


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~昨日の敵は今日の友~


この会見の後、双方は日本側の用意した昼食をとりました。
そこには5ヶ月にわたって凄惨な戦いを繰り広げた仇敵同士ではなく、
「昨日の敵は今日の友」との和気藹々とした空気が流れていたそうです。


日記冒頭にご紹介した文部省唱歌である「水師営の会見」は
以上の様子を歌ったものなのです。


また、
この会見で、
乃木将軍はロシア兵の戦没者を丁重に祀ることを約束。
(明治40年、日本は各地に散在するロシア将兵の墓を旅順に集めて
ロシア風の墓地と顕彰碑を作って日本政府主催により盛大な慰霊祭を行いました。
ロシア正教とロシア軍関係者を招き、日本代表として参列したのが乃木将軍でした。
約束をしっかりと守ったんですね。)


水師営の会見は、
日本の武士道精神と日本の精神文化に世界が驚倒する出来事となりました。

アメリカのウォシュバン記者は、
後にその感激をもとに『乃木大将と日本人』という伝記を書いたほどでした。




二人の将軍の関係はこれで終わりではありません。



その後
ステッセル将軍は、
ロシア軍法会議にて、敗戦の責任を問われ銃殺刑を宣告されました。

これを聞いた乃木将軍は、
すぐさまロシア皇帝に手紙を書き、
ステッセル将軍が如何に祖国へ尽くし、善戦したかを訴えました。

それのみならず
フランス駐在武官であった津野田是重参謀に、資料を送り、
ヨーロッパ各国の諸新聞に投書して世論喚起を促しました。

この結果、ステッセル将軍は、
刑を銃殺刑からシベリアへの流刑と減刑され、死刑を免れたのです。、
乃木将軍は、流刑となったステッセル将軍の残された妻子に対して私費で援助をし続けたそうです。




更に時は流れて、、、、




明治天皇崩御

自宅にて乃木将軍は古式に則って切腹、
明治天皇の後を追って自決しました。
享年六十四歳。
妻・静子もともに自刃。


乃木将軍の死後、
「モスクワの一僧侶より」とだけ記された弔慰金が送られて来ました。


「モスクワの一僧侶」とは一体誰のことなのでしょうか?





それは、ステッセル将軍が送ったものだと言われています。

ステッセル将軍は晩年
「自分は乃木大将のような名将と戦って敗れたのだから悔いはない」と
繰り返し語っていたそうです。


青山霊園にある乃木家の墓に置かれている手水鉢は
「モスクワの一僧侶より」送られた弔慰金で作られています。


以上 参照
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/01/post-c24c.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/16555894.html
http://blog.jog-net.jp/201301/article_5.html
大東亜戦争の正体 (祥伝社 出版)


~~



生前、
武士道とは如何なるものでありましょうかと尋ねられた乃木将軍は
「武士道は言葉ではない」
と答えたそうです。

乃木将軍の生き様そのものが 武士道であると私は思います。
それ無くして
上記にご紹介した将軍の話は生まれなかったでしょう。


先人の生き様が、今を生きる私たち日本人に与えてくれるものは何でしょうか?


先人の生き様に 驕り(おごり)高ぶり
先人が積み上げて下さった 貯金を
わが物として使い果たしてしまうのではなく、

先人の生き様に 誇り(ほこり)を持ち、
少しでも近づけるように
努力したいと私は思います。







「恥を知れ。道に外れた事をして恥を知らないものは禽獣に劣る ~ 乃木希典 」


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