「素晴らしい夢を見てそれを行動に移せ。」

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「生きている間によく生きろ」

「不思議に思うことが多くなると、知の贈り物が授けられる」

「「Hear と Listen」、「See と Look」、「Say と Speark」、 お前は聞こえてはいるけど、聴いてはいない。お前は見えてはいるけど、視えてはいない。お前は話してはいるけど、本当の事は伝えていない」

「こころからの言葉は書物より尊い」

「思考は矢のように放たれたら、的を射る。注意しないと自分の放った矢で倒れることになる。」

「素晴らしい夢を見てそれを行動に移せ。」

「結婚はカヌーで旅をするようなもの。男は船首(へさき)に腰をおろしてカヌーをこぎ、女は船尾(とも)に腰をおろして舵をとる。」

「お年寄りと子供をはなしてはいけない。彼らを引き離すことは、過去と未来を断つことと同じだ。」

「全滅するぐらいなら、
ひとりだけ苦しむほうがまし」

「どんなことも7世代先まで考えて決めなければならない。」

「自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。」

「土地は先祖からの授かりものではなく、子供たちからの預かりもの。」

「人間が命の糸を編んでいるのではない。人間はその中の一本の線維にすぎない。」

「自然から離れれば、こころが頑なになる」

「植物は人の兄弟姉妹
耳を傾ければ、語りかける声を聴くことができる」

「日と夜、季節、星、太陽。その移ろいを見れば、ひとより偉大な何かの存在を思わずにはいられない。」

「朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」

「こころが曇ったら
空や輝く星を見よ。
人も自然も
すべてかかわりあっているのだから」


「独りぼっち だったり
困りはてて いたり
誰かの 助けが 必要なときは
まぶたを 閉じて
わたしを 思い
わたしの 名前を よびなさい
そうすれば わたしは くる。
見上げる 夏の日の 大空に
わたしの 姿を さがしもとめ
道に響く わたしの 足音に
あなたの 耳を こらしなさい。
石を 持ちあげて みれば
そこに わたしは いる。
HO!」

「命とはなにか。
それは、夜の闇にまたたく
ホタルのきらめき。
凍てつく冬の空気に
バッファローの吐く白い息。
草原を走りまわり
日没とともに消えてしまう小さな影」


「白人の目には、わしらが馬鹿みたいに映っているかもしれない。
わしらがあんまりにも単純だからだ。
わしらは偉大な母である大地によりそって暮している。
わしらは、あなたがあなたの神を信じているように、わしらの神を信じている。
しかも、わしらの神はわしらにとっては最高だということも、信じている。
わしらの神はわしらに話しかけ、なにをなすべきかを教えてくれる。
わしらの神は、雨雲や太陽やトウモロコシなど、生活に必要なものをなんでもくれる。
わしらの神は、あなたの神のことを聞くはるか以前から、こうしたものを与えてくれていたんだ。」



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以上 ~インディアン の 言葉
参照
https://twitter.com/Indianteachings
http://d.hatena.ne.jp/shibaracu/20120323/1332452557


私、インディアンが好きでして、
日本人とインディアン、
似通っている部分があるなあと思ったので、
ご紹介致しました。




宜しければこちらも↓↓
悲しいかなこちらも、形は違えど
戦後の日本で起きた事(参照→http://sahashipesu.blog.fc2.com/blog-entry-277.html)
と似通っている部分があると私は思います。


ネイティブアメリカンという呼称に関して~

近年、日本のマスコミ・メディアにも見られる、故意に「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」、「アメリカ先住民」と言いかえる行為は、下項にあるように「インディアンという民族」を故意に無視する行いであり、民族浄化に加担している恐れがある。

この呼び替え自体はそもそも1960年代の公民権運動の高まりを受けて、アメリカ内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局)」が使い始めた用語で、インディアン側から出てきた用語ではない。

この単語は、
インディアンのみならず、アラスカ先住民やハワイ先住民など、アメリカ国内の先住民すべてを指す意味があり、固有の民族名ではない。

「ネイティブ・アメリカン」という用語に対し、「アメリカに最初にいた民族」としての「インディアン」の呼称に誇りをもつインディアンたちは、これを自称し、その名称を替える事自体がごまかしであり、差別的であるとしている。

さらに、「アメリカに最初にいた民族」としてのオリジナリティーが、政治的にごまかされるとする意見も彼らの間では根強い。「アフロ・アメリカン(アメリカ黒人)」や「ユーロ・アメリカン(白人アメリカ人)」などと同列に「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」として並べられると、彼らは人口比で極少数民族に転落してしまう。

つまり、「インディアン」という呼称が差別を助長するのではなく、「アメリカ先住民の一部」として無視する「ネイティブ・アメリカン」という呼称こそが差別語である、という主張である。

この背景として、上記した理由に加え、1960年代からのアメリカ政府側の「ネイティブアメリカン(アメリカ先住民)」という言い換えが政治の現場、さらには教育の現場でまで推し進められたことに対するインディアン達の危機感がある。

インディアン活動家のラッセル・ミーンズは、1996年にAIMの公式表明として、以下のような声明を出している。


「私たちインディアンの子供たちは、『インディアン』という民族名を学校で教えられていない。あたかも『インディアンという民族』が、20世紀に絶滅してしまっていて、もうこの世に存在しないかのような扱いとなっている。名実ともに『インディアンという民族』は絶滅させられようとしている」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3 より



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