昭和天皇と防空壕

より多くの日本人に知っていただきたいお話をな話をご紹介致します。


アジアチャイルドサポート代表理事 池間 哲郎氏 FBより
https://www.facebook.com/tetsuro.ikema

~ここから
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昭和天皇は防空壕で暮らしていた

1945年5月、米軍の完全に国際法違反の非人道的爆撃により、東京は焼け野原となり多くの一般市民が犠牲となった。

皇居も明治宮殿他27棟が全焼。

陛下は「そっか焼けたか。
これでやっと皆と同じになった」とつぶやいたそうです。

住まいを失った陛下は防空壕で暮らす様になった。

陛下が暮らしていた防空壕は地下深く掘られた御文庫付属室。

水が染み出しポタポタ落ちる。
スーツを吊るして置くと、一両日で絞れる程の水を含む酷い湿気だったと言います。

侍従の者が「こんな場所に住まわせては置けない」と御所の新造を提言するも「世の中には住む家の無い人も居るのに、私はこれだけの物が有るのだから」とアッサリと却下。

戦後の混乱期を乗り越え、世はミッチーブーム。

昭和34年、日本国民は皇太子殿下、美智子妃殿下の御成婚を華やかに祝う。

その時ですら、昭和天皇、香淳皇后は防空壕で暮らして居た。

それからさらに2年、終戦から16年経過して、やっと新たに建てられた「吹上御所」に移られた。

「こんな良い家に住める様になったのも、皆んな国民のお陰だ」とおっしゃられた。

陛下は、還暦を迎える歳になっていた。

私は、この「昭和天皇と防空壕」の話しを知った時、涙が溢れた。

外国の元首は「国民が苦労をしていても自らは豊かさと威厳を持った暮らし」が当たり前。

日本だけです。

「国民と共に苦労をする元首は」日本人に生まれて良かった。

天皇陛下は日本の誇りです。

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~ここまで

こちらも参考にしてください

昭和天皇のシェルター(防空壕)
http://www.sengokushi.com/sengokushi/?p=1034




日本の国体は天皇陛下です。
2673年、変わらず続いてきました。

国体
国体とは、その国の基礎的な政治の原則を指し、
日本語の文脈で使用される際には「天皇を中心とした秩序」を意味する語となっている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BD%93


実はこれ、とてつもないことなんです。


世界を見渡せば
過去から今にわたり
沢山の王朝や権力者が姿を消してきました。
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フランス革命(1789年 - 1794年)
アメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)
ハイチ革命(1791年 - 1804年)
フランス7月革命(1830年) 
1848年革命(フランス、ドイツ、オーストリア)
ロシア革命(1905年)
メキシコ革命(1911年 - 1920年)
ロシア革命(1917年)
ドイツ革命(1918年 - 1919年)
トルコ革命(1922年 - 1923年)
国共内戦 (1945年 - 1949年、中国)
キューバ革命(1959年)
4・19学生革命(1960年、韓国)
文化大革命(1966年 - 1979年、中国
イラン革命(1979年)
ポーランド民主化運動
ハンガリー民主化運動
ビロード革命(チェコスロバキア)
ルーマニア革命 (1989年)
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しかし
日本は王朝交代がまったく無く
「変わらず」2673年続くとてつもない国なのです。

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天下統一を目指した戦国武将でさえもその刃を
国体に向けることはありませんでした。
壊してしまえば、
「変わらない」ものが「変わって」しまうことを知っていたのではないでしょうか。



次に以下のお話をご紹介致します。


「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
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ある日、仁徳天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられた。
すると人々の家からは少しも煙が上がっていないことに気付いた。
仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
仁徳天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

三年がたち、
仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると
今度は、人々の家々から炊煙が盛んに立つのをご覧になり、一緒におられた皇后様に「我は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃいました。
皇后様は「変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」とお聞きになられました。
「国とは民が本である。その民が富んでいるのだから、我も富んだということだ」
とこう申されました。

仁徳天皇は引き続きさらに三年間、
税を献ずることをお許しにならず、
六年が経過して、
やっと税を課して、
宮殿の修理をお許しになりました。
http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-882.html 

より\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\


日本固有の大和言葉では、
庶民そして百姓という言葉に
「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」を意味する、
「おおみたから」の和訓がふられている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93


私達日本人が、従属物であったのならば、
庶民そして百姓が「宝 たから」と発音されることはなかったでしょう。
この御歌は存在しなかったでしょう。



「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」


~御歌の心は今もなお。


天皇、皇后両陛下は、
大震災後の計画停電時に
「第1グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられたそうだ。
実際に停電にならない日も、予定通り続けておられたそうだ。
「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と、
その間は暖房も使われず、ろうそくや懐中電灯を使いながら暗い中で夕食をとられたこともあるという。


~御歌の心は今もなお

昭和天皇は 戦後間もなく全国を巡幸された。
着ていかれる洋服がみすぼらしいと、周囲は新調を勧めたが「みな着るものにも不自由しているのだから」と、断られた。
学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけお休みになったこともある
そうだ。


~御歌の心は今もなお。

日記冒頭のお話からもそれがお分かりいただけるかと思います。




「世界最長の歴史と民を宝と呼ぶ世界最古の皇室を持つ2673年変わらず続く国」


これが日本です。


2673年、変わらず続く御皇室

2673年、一度も滅びることなく続く 日本

2673年、日本を守り繋げてきた日本人の祖先たち


私は
日本を、
日本人であることを
誇りに思います。




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